⑤聖母宮

(勝本町勝本浦554-2)

神功皇后は壱岐に着き、順風を待たされたこの地を「風本」と名付け三韓に出兵された。その帰路再び立寄られ、出兵の勝利を祝い「勝本」と改めたという。当社地は、神功皇后三韓出兵往来の着津、行宮で、三韓より帰られる時、この地に異賊の首を沈め、その上に神符を掛け末世異賊の競望を断絶することを誓い祈られた皇后一夜の霊地である。この行宮はそのままであったが、「毎夜海中より光るものが昇り燈火の如く静かにしばらくして燃えてまた海に入る」という出来事が続いたため、里人は五間四面の神殿に神鏡を納め、神功皇后伝説の馬蹄石、文永の役元軍上陸の碑がある。文禄の役時は、加藤清正は表門と社寺廻りの石垣を寄進。肥前鍋島直茂は裏門を寄進、家紋が彫刻されている。(壱岐事典より)